森永卓郎さんの妻・弘子さんは、かつてバレーボール選手として活躍していたスポーツウーマン。
しかし、そんな彼女が選んだ結婚生活は、まさに壮絶なものだったとか。
晩ご飯が「ひじきだけ」という極貧時代を乗り越え、夫婦で築いてきた絆とは?
そして、二人の馴れ初めとは?今回は、森永卓郎さんと弘子さんの知られざるエピソードをたっぷりとご紹介します!
【顔画像】森永卓郎の妻・弘子は元・バレーボール選手!
- 名前:森永 卓郎(もりなが たくろう)
- 生年月日:1957年7月21日
- 年齢:67歳(2025年1月現在)
- 職業
- 経済アナリスト
- エコノミスト
- タレント
- 獨協大学経済学部教授
- 学位:経済学士
- 出身地:東京都目黒区
森永卓郎さんは、妻の弘子さんと1983年に結婚しました。
森永弘子のプロフィール
- 名前:森永 弘子(もりなが ひろこ)
- 生年月日:1959~60年
- 年齢:65歳前後
- 職業:元バレーボール選手
- 出身地:
弘子さんは元バレーボール選手であり、当時は日本専売公社の実業団バレーボールチームに所属していました。
所属は、
- 日本専売公社のバレーチーム『専売茨城』
という事です。
弘子さんが所属していたチームは1956年に日本専売公社茨木工場で「専売茨木」として9人制女子バレーボール同好会が設立されました。
その後、1985年、日本たばこ産業(JT)の設立に伴い、チーム名を「日本たばこ」に変更。
1989年には『JT』になり、現在は『大阪マーヴェラス』というチーム名で、2020-21シーズンには皇后杯初優勝とリーグ戦連覇を達成するなど、トップレベルで活躍しています。
森永卓郎と妻・弘子の馴れ初め!
森永卓郎さんと妻の弘子さんの馴れ初めは、
二人が出会ったのは、日本専売公社(JT)で、森永さんが25歳、弘子さんが23歳のときに開かれた社内の忘年会で、運命の出会いを果たしました。
関東支社の予算課から「森永さん、忘年会をやるので参加していただけませんか」と誘われた。官官接待というやつだ。その時、思いあがっていた私は「行ってもいいけど、女連れて来いよな」と言った。
引用:集英社オンライン
そこに現れたのが弘子さんでした。
その瞬間、森永さんは弘子さんに一目惚れし、「なんて美しい人なんだ!」と強く心を奪われたそうです。
この飲み会に連れてこられた弘子さんは、「私は人身御供にされた」と言い続けていたそう。
その後、二人は順調に愛を育み、1986年に結婚。
弘子さんが森永さんのプロポーズを受けた決め手の一つは、
だったそうです。
優しくて温厚な性格の森永さんに、安心してついていこうと思ったのかもしれませんね。
森永卓郎と妻・弘子の壮絶結婚生活!
森永卓郎さんと奥さんの結婚生活は、決して順風満帆なものではありませんでした。
では、見てみましょう。
極貧生活からのスタート!
森永さん夫婦の若い頃は極貧生活を送り、晩ご飯が「ひじきだけ」という日もあったそうです。
新卒で日本専売公社(現・JT)に就職したものの、手取りはわずか6万円ほど。
家計は苦しく、夫婦で何とか乗り切るしかありませんでした。
それでも、奥さんは「大丈夫」と受け入れ、支えてくれたのです。このような厳しい状況の中で夫婦が協力し合えたことは、のちの人生の土台となったことでしょう。
収入の急上昇と価値観の違い
その後、森永さんは転職を決意し、シンクタンクに入社すると、わずか2か月で
に跳ね上がります。
しかし、給与明細を見せた際に、奥さんから「あと少しで大台だったのにね」と冷静に言われ、手放しで喜んでもらえなかったことが印象的だったそうです。
これは、お金に対する価値観の違いが鮮明に表れた場面だったのかもしれません。
夫婦はともに苦労を乗り越えてきたものの、経済的な安定を得た後も、その考え方に温度差があったことがうかがえますね。
食事の好みと日常の工夫
結婚生活の中で、お互いの価値観の違いに気づくこともあったそう。
たとえば、奥さんは肉が苦手なのに対し、森永さんは大の肉好き。
そのため、夕飯のメニューを巡って揉めることもありました。
ですが、奥さんは「食欲があるのはいいこと」と考え、すき焼きを作る際には一人用の小さな鍋を二つ用意し、彼はすき焼き、奥さんは肉なしの鍋を食べるようにしていたといいます。
こうした柔軟な対応が、お互いの個性を尊重する姿勢につながっていたのではないでしょうか。
介護生活の試練
そんな夫婦生活の中で、一番大変だったのは、
だったそうです。
2006年にお父さんが脳出血で半身不随になり、奥さんは朝6時に起きて着替えを手伝い、歯磨きをさせ、夜中に倒れたらすぐに駆けつけるという日々を送っていました。
一方の森永さんは都内で仕事をし、週末しか家に帰らない生活。
そのため、介護の負担はほぼ奥さんにのしかかり、ストレスも最高潮に達していたと言います。
そんなある日、「はっきりとしているのは親父の性格が治ることはないということだ」などと言ってしまった一言が妻の怒りを爆発させたのだ。
引用:集英社オンライン
この一言で仕事中に奥さんからメールで「誰のお父さんでしたっけ」と言われるも仕事に追われていたところ、
と奥さんに通告されてしまったそう。
そうこうしているうちに、父親は体調を崩し、施設へ入所。
そして、その2年後に他界しますが、父は最後に『ありがとう』と奥さんに感謝の言葉を口にしたそうです。
「ここまでお父さんのお世話をしてきたのだから、放り出すわけにはいかない」と言っていたのが印象的だった。
引用:集英社オンライン
介護は夫婦関係を大きく揺るがす試練となりますが、それを乗り越えたことで、さらに強い絆が生まれたのかもしれませんね。
テレビ出演と家族としての葛藤
テレビに出るようになってからは、人様に批判されるような仕事をしていると認識していたのだろう。
引用:集英社オンライン
森永さんがテレビに出るようになってからは、家族も周囲の目を気にするようになりました。
家族で外出するときには変装し、時間差で行動するほどだったそうです。
そんな生活に対し、子どもたちからは「我が家は母子家庭」と冗談半分、本気半分で言われることもありました。
仕事と家庭のバランスを取ることの難しさがよくわかるエピソードであり、多くの家庭でも共感できる部分があるのではないでしょうか。
余命宣告と気づいた愛
それでも、森永さんが病気になり、余命宣告を受けた際、本当に頼れるのは奥さんしかいないと実感したそうです。
そして、
これまでの人生で、私はほぼすべての女性から「キモイ」と言われ続けた。 ただ一人、妻だけがキモイとは言わなかった。
引用:集英社オンライン
世間では彼のことを「キモイ」と言う人もいた中で、奥さんだけは一度もそう言わなかったと振り返っておられます。
そんな奥さんの存在が、彼にとってどれだけ大きなものだったのか、身辺整理を進める中で改めて気づいたのだと語っています。
このエピソードは、長い結婚生活の中でお互いが築き上げた信頼と愛情の深さを物語っています。
夫婦の物語としての魅力
結婚生活は決して楽なものではなく、時にはすれ違い、衝突しながらも、長い時間をかけて深い絆を築いてきた森永さん夫妻。
苦労も多かったけれど、最後には「この人と結婚してよかった」と思える、そんな夫婦の物語です。彼らの人生には、多くの人が共感し、学ぶべきポイントがたくさんあります。
結婚とは単なる愛情だけでなく、試練を共に乗り越える力が求められるものなのだと改めて感じさせられました。
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